震災の話題と井上晴美へのバッシングで透けて見えた日本人の闇
日本のどこにいても地震他の災害は起こりうる。
明日は我が身、準備が必要と痛感するこの頃。
幸い全国で同時には起こらないので他地域に住んでいる人間は
現地の人たちに迷惑、と思われないように支援できることを考えて
微力ながらも助け合えればと思います。
でも。このような不測の事態が起これば、当事者は動転して当然。
生き物の本能として、生き残るために必死に行動する。
それは当り前。そのなかでも助け合おうという理性が働いている
多くの日本人が誇りでもあり、自分自身もそうでなければとは思う。
でも、何か大きな災害が起こった時、その地域から逃げて
(自然災害であればすぐには終息しなかったりするし)
しばらくの間でも影響のなかった地域で
心を落ち着け、体を休め、冷静な判断と前向きな対応策を練ることも
大切な選択肢の一つだと思う(個人的には。)
でも日本人は、結構少なくない人が、そう思って行動できる人に対して
(嫉妬もあるのでしょうが)バッシングをしたりする。
まるでその人が、悪いことをしているとでもいわんばかりに。
確かに皆が他所に逃げられるような資金を持ち、行動力を持ち、
逃げられるような環境(仕事、家族などなど)を持っているわけではない。
でも全員がそうできないからといって、悪しき平等(みんなが逃げるのは
不可能だから全員がその場に残って頑張らないとだめ)ということを
強制するのは、どうなんだろう。
そういう見えない鎖が(濃密な人間関係の地域には特に、)あったりする。
怖いくらいの悪しき平等、みんな同じくらい救われて、同じくらい
苦しむべき。というのはネット上のバッシングにもみられる。
最近で印象的なのが、タレントの井上晴美さん。
熊本の自然豊かな所で家族5人で暮らしていたが、地震で自宅が全壊。
ブログに現在の状況や心情をつづっていました。
【熊本地震】被災の井上晴美さん、「愚痴りたいのはお前だけではない」とネットで中傷されブログ停止へ - 産経ニュース
私も震災当初からのブログを見ました。すごく素直な気持ちを書いていると
思う。
かなりバッシングを受けてしまったのか、おせっかいな知人が井上さんに
かなりネットで悪口言われてるよ、みたいなことを言ったのかわかりませんが、
井上さんはかなり傷ついて、震災のストレスを増大させてしまったのでは、
と気の毒に思いました。
たしかにネット上の批判を見てみると、井上さん一家のための物資を個人的に
受け取りたいとか、見る人がみたら(平等主義のいきすぎた人)自分だけの
ことしか考えてない身勝手なやつ、批判されて当然。と思うのかもしれない。
泊めてくれる人教えてください、とか避難所に行く気などさらさらないのかな。
という意見もあって。
でもちょっと、日本人って平等主義が行き過ぎてると感じることが多い。
井上さんは、ちょっと目立つ人なのでボコボコにされてしまった?けれど
先の私の投稿記事にもある通り
苦しみもみんなで平等に味わうべき、みたいなのって・・・怖くないですか。
私も我慢してるんだからあなたも。っていう。
震災は関係ないけれど、出産で無痛分娩を選ぶ人を非難する人とか
(みんな苦しんで産んでるのに母親失格みたいなことを言われるらしい)
若者のワーキングプアを、「自分たちも若い時は苦しかった」とか言っちゃう、
とか。なんか、苦しみ平等主義みたいなのって、ちょっと異常じゃない?
結局、自分が味わった苦労をしなくて済んでる人とか、自分が当事者になったら
恵まれた人的、経済的支援を得られないだろうなと思っている人たちの
嫉妬だよね、嫉妬。それを正義みたいにすり替えてバッシングしてるっていう。
でも農耕民族の歴史が長い(農耕はみんなで協力しないとできなかったらしい)
からもう遺伝子レベルで受け継がれてる意識なのかな。